犬の認知行動学研究の第一人者であるホロウィッツ博士らは、ヒールワークをする犬と比べてノーズワークをする犬は楽観性が高くなるという論文を発表しました。
研究者らは、定期的に嗅覚を使った自律的活動は犬の心を良い状態にし、またこれが犬の福祉に貢献するものになると結論づけています。
なぜノーズワークは研究対象となったのか
犬はハンドラーの指示に従うのではなく、自分の力でターゲット臭を探す
ノーズワークとは、嗅覚を使って隠されたものを見つける、探知犬の仕事をゲームに仕立てたドッグスポーツです。
このスポーツの大きな特徴は、リード役を犬が担っているという点にあります。犬は自らの能力を使って自律的に決定し探索するリーダーであり、飼い主は犬が成功するようモチベーションを与え成功へと導く役割です。人の指示に従う他のスポーツとは、ここが大きく異なります。
さて、今回ご紹介する”Let me sniff! Nosework induces positive judgment bias in pet dogs”は、「ペットの犬は”captive”である」という考えに立脚した研究です。”captive”は、日本語では捕虜とか人質という言葉。捕虜や人質というと虐待や拘束などが連想されるかもしれませんが、ここでは「犬としてのありのままを封印しなければならないペットの犬」というふうにとらえると良いでしょう。実際ペットの犬は、日常生活のあれやこれやを自由に選択することはできません。食べるものも行動も制限され、彼らの意思が介入する余地はあまりありません。”captive”という言葉は強すぎるかもしれませんが、ペットが置かれた状況や人間との関係を考えるうえでは、良い言葉の選択なのではないかと思います。
研究は、嗅覚に基づく活動がペットの犬の心に与える影響を探求する目的で行われたものですが、犬の自律も大きなポイントとなっています。”captive”であるペットの犬が、ノーズワークを通じて意思決定の自由、自然に振る舞う自由、能力を発揮する機会を与えられ、成功体験を積み重ねたとき犬の心は変化するのか?この視点を加えると、研究をより深く理解できそうです。
ノーズワークはペットの犬の楽観性を高める
それでは研究の内容を概観してみましょう。参加したのはオーストラリアン・シェパード、シベリアン・ハスキー、コッカースパニエルなど品種の異なる20匹の犬(全て1歳を超えている)。犬の心の状態を測るツールとして認知バイアス課題が使われました。
認知バイアス課題で動物は、最初にポジティブとネガティブの2つの刺激を区別するよう訓練されます。この訓練のあと、2つの刺激のどちらでもない「あいまいな刺激」を受けます。この「あいまいな刺激」に対する動物の反応(近づくか離れるか、早いか遅いか)が、楽観や悲観などの心の状態をあらわすとされ、評価がなされます。
認知バイアス課題は、飼育下に置かれている人間以外の動物の福祉と心の状態を評価するためによく使用されるものですが、ペットの犬についてはほぼ行われていなかったそうです。
本研究では、2つの刺激に「オヤツの入ったボウル」と「オヤツなしのボウル」が使われ、あいまい刺激として「入っているか入っていないかがわからないボウル」が使われました。楽観性の評価には、ボウルに到達するまでの時間が選択されました。短い時間で到達すれば、オヤツがもらえると楽観的に考えボウルに向かっていくとされたのです。
実験では、参加犬は最初にこの課題にチャレンジすることを求められます。その後、10匹ずつの2つのグループに分けられ、片方のグループはヒールワークに、もう片方はノーズワークの練習を2週間するよう求められます。いずれのチームもクラスへの参加は2回で残り日は自宅練習。練習内容は難易度をあげるなど、飽きさせない工夫が凝らされていました。また、どちらの練習でも都度報酬が与えられました。
そして2週間後、犬たちは再度、認知バイアス課題に挑みます。活動に参加する前は2つのグループの犬の”楽観性”に違いは見られませんでしたが、2週間後のテストでは、ヒールワークのグループの犬では変化はみられなかった一方、ノーズワークグループの犬はボウルまでの到着時間が短くなりました。
研究者らは研究のハイライトで次のように述べています。
- ノーズワークは、犬のポジティブな判断の偏り(※)、または”楽観性”を高める
- ノーズワークを実践することで、犬は自然な行動をし、より自律的になる
- 自然に振る舞うことと、能動的に選択することは、動物福祉における2つの重要な要素である
※ 動物における認知バイアスとは、判断の偏りのパターンのこと。その偏りにより、彼ら自身の主観的な社会的現実を創り出すと言われる。
注意しなければならないのは、この研究はヒールワークがダメだと指摘するものではないということ。自律や自然が良いといっても、その要素だけを抜き出していつでもどこでも自由にさせるてしまうのは、無責任でしかありません。
共に暮らしていくためには、覚えて欲しいルールもあります。ただ、一から十まで縛り付けられるのでは、犬は犬らしさを完全に失ってしまうかもしれません。限られた時間であっても、犬に鼻を使う機会と意思決定をする機会を与えられるのなら、ノーズワークのようなスポーツを取り入れるのも非常に良い選択だと思います。
◼︎以下の資料を参考に執筆しました。
[1] Duranton, C., & Horowitz, A. (2019). Let me sniff! Nosework induces positive judgment bias in pet dogs. Applied Animal Behaviour Science, 211, 61-66.
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