さまざまな毛質は犬の多種多様な見た目の違いを作り出している特徴のひとつです。同じ犬種であっても毛が長かったり短かったり、ストレートだったりワイアーだったり。そんな犬の毛質のバラエティは遺伝子によってつくり出されているのです。
今回は、犬の毛の長さについてのおはなしです。犬種の特性でもある毛の長さは、どんな要素が作用して決まっているのでしょう。
こんなことについて書いてあるよ!
短毛の犬種、長毛の犬種、両方ある犬種
長きにわたり安定した人気を誇るダックスフンド。ダックスといえばサラサラロングヘアのミニチュア・ダックスを思い浮かべる人が多いのではないかと思います。ダックス人気が高まったのはバブルがはじけ、大型犬から人々の足が遠のき始めたころ。ロングコートのミニチュア・ダックスはあっという間に日本を席捲しました。
そんなダックスですが、体の大きさによって、スタンダード、ミニチュア、カニンヘンと3通りに分けられるうえに、毛質もスムース(短毛)、ロング(長毛)、ワイアー(粗毛)の3通りがあり、それぞれの組み合わせにより実に9通りものバリエーションが存在する犬種です。同じく不動の人気を誇るチワワにもスムース(短毛)とロング(長毛)の二つのタイプがあります。
長毛がメジャーなボーダー・コリーにもスムースコートの短毛タイプも存在していますし、逆に、短毛がイメージのワイマラナーには長毛タイプがいます。
このように、ひとつの犬種の中に短毛と長毛のバリエーションが存在しているケースもあれば、ラフ・コリーとスムース・コリーのように別犬種として確立されている場合もあります。
最近では2011年にロングコートのジャーマン・シェパード・ドッグが短毛のジャーマン・シェパード・ドッグと別犬種としてFCI(国際畜犬連盟。JKCはFCIに加盟している)にて認められました。
私たち日本人にもっとも身近な例は秋田犬の“わさお”でしょう。彼を見て、あんなにフサフサと長い毛をした秋田犬がいることを初めて知った人も多いのではないかと思います。
むく毛とも呼ばれる秋田犬の長毛は、犬種標準では失格事由とされています。そのため、短毛の秋田犬に比べると実際に目にする機会も少なく、長毛の秋田犬の存在はあまり知られてきませんでした。
ジャーマン・シェパードも秋田犬も、短毛が主流な犬種として歩んできました。しかしその陰で、短毛の両親からたまに生まれてくる長毛の子犬は排除の対象とされてきたという共通した歴史を持っています。秋田犬においては突然生まれてくるむく毛の子犬は、ある意味厄介な存在でしかなかったのです。
そもそも、なぜ短毛の両親から長毛という別の特徴を持つ子犬が生まれてくるのでしょう?それは、ある一つの遺伝子が、毛を長くするか短くするかを決めているからです。
毛の長さを決める遺伝子FGF5
犬の繁殖現場において、長毛が短毛に対して劣性の形質であることは古くから知られていたことでした。しかしそれがどのような遺伝子で、どんなことが起きているのかという細かなことが明らかになったのは、ゲノム解析技術が飛躍的に進んだ21世紀に入ってからのことです。
2006年、FGF5という遺伝子に変異が起きる(DNA配列が変化する)ことで本来ならば短毛であるところが長毛の犬になることが明らかにされました。FGF5はFibroblast growth factor 5の略語で、線維芽細胞増殖因子であるFGFファミリーの一員です。FGFファミリーの遺伝子は、さまざまな組織で細胞の増殖や分化に関わる働きを持つタンパク質で成長因子と呼ばれるものの一種になります。
FGF5は毛の生え変わるサイクル(毛周期)の調整に関わる働きを持っています。毛周期は、成長期⇒退行期⇒休止期の3つのサイクルから成り立ち、成長期には毛が伸びていき、退行期は毛が抜け落ちる準備が行われ、休止期に毛が抜け落ちていきます。FGF5は成長期の後半で“そろそろ毛の成長を止めてください”という伝令を伝える役目を持っているのですが、変異が起きたFGF5はその伝令を本来のタイミングで伝えることができず、なかなか退行期に移行することができないため毛が長く伸びていくと考えられています。ちなみにこの遺伝子は、犬以外でもマウスや猫、そして人でも毛の長さ(どこまで成長させるか)を決定するのに重要な役割を持つことが分かっています。
FGF5に変異が起こると長毛になるのですが、変異が起きていないタイプに対して劣性の形質のため、両親から変異遺伝子を受け継がないと子は長毛になりません。短毛の両親がそれぞれ長毛遺伝子を持っている場合、それらが出会う確率は25%。つまり、25%の確率で長毛の子犬が生まれてきます。そもそも短毛がメジャーな犬種ならば、長毛の変異タイプを持つ短毛個体が多いとは考えにくく、そのような短毛の親同士が出会って交配する確率そのものも低いと考えられます。ですので、“ある日突然長毛の子が生まれてきた”というような感覚におちいってしまうのでしょう。
おおかたの犬種はこのFGF5で短毛か長毛かの説明をすることができるのですが、2009年に発表された研究では研究対象となった犬種の中で長毛犬種であるアフガン・ハウンドとヨークシャー・テリア、シルキー・テリア、狆、サモエドは大多数の長毛の個体が持つのと同じタイプのFGF5変異遺伝子を持っていないことが分かりました
続いて2013年に発表された研究では、長毛アフガン・ハウンドに特有のFGF5の変異タイプがふたつ、秋田とサモエド、シベリアン・ハスキーに共通する変異がひとつ、ユーラシアに見られる変異がひとつ見つかりました。いずれもFGF5の遺伝子上のDNA配列の別の部分になります。新たに見つかった変異による長毛もすべて劣性の形質であることが分かったこと、秋田に関しては新たに見つかった遺伝子変異でのみ長毛となることも明らかになりました。
長毛になる原因がまだ明らかになっていない狆やヨークシャー・テリアなどに関しても、同様にしてFGF5の遺伝子解析を行うことで、新たな変異箇所が見つかる可能性も大いにあると考えられます。いずれにせよ、現在分かっている犬の長毛を作りだしているのは少しずつ変異の場所が違うFGF5を持つためであり、変異によりFGF5の本来の働きができなくなったためであることは確かといえるでしょう。
遺伝学での”劣性”という言葉は形質の優劣を意味しない
さて、今回のおはなしは楽しんでいただけましたでしょうか?犬の毛の生え変わりは遺伝子によって制御されており、この遺伝子に変異が起きると毛の抜け落ち時期が遅くなり長毛になることがあるというおはなしでした。
最後に、劣性の形質であるからといって、必ずしもその形質が優性のものに比べて劣っているというわけではないことをお伝えして初回を終えようと思います。優劣という漢字から、ついつい優性の方が優秀で劣性の方が劣っているというようなイメージを抱きがちです。しかしそれは単純にその形質があらわれやすいタイプか、隠されてしまうタイプなのかということを示すだけの言葉にすぎません。そもそもは英語のdominantとrecessiveを優性・劣性と訳されて使われてきています。
このように、漢字の持つ意味から本来の遺伝的意味の捉え違いがしばしば起こっており、とくに遺伝する病気についての誤解を招くことも多いため、日本遺伝学会では優性・劣性をそれぞれ顕性・潜性と言い換えるという指針を2017年に出しています。とはいえ、実際に新しい言い方が使われるようになり、教科書の内容が完全に変わるまでにはかなりの時間がかかるだろうことが想像されます。
長毛は短毛に対して劣性(子孫へと伝わりにくい)の形質になりますが、優性の形質であろうと劣性の形質であろうと、それぞれの犬たちが持つ遺伝的な部分は唯一無二の素晴らしい個性をつくりだしています。
◼︎以下の資料を参考に執筆しました。
[1] Housley, D. J. E., & Venta, P. J. (2006). The long and the short of it: evidence that FGF5 is a major determinant of canine ‘hair’‐itability. Animal genetics, 37(4), 309-315.
[2] Dierks, C., Mömke, S., Philipp, U., & Distl, O. (2013). Allelic heterogeneity of FGF 5 mutations causes the long‐hair phenotype in dogs. Animal genetics, 44(4), 425-431.
[3] Cadieu, E., Neff, M. W., Quignon, P., Walsh, K., Chase, K., Parker, H. G., … & Wong, A. (2009). Coat variation in the domestic dog is governed by variants in three genes. science, 326(5949), 150-153.
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