皆さんこんにちは~ 読書犬パグのぐりです。今年の3月からWOOFOO天国出張所で働いているよ。
地上は立冬も過ぎて、だいぶ寒くなってきたみたいですが、お元気ですか?風邪などひかないようにお気を付け下さいね。
父がのこしていった犬
さて、今回ご紹介する本は、これまであまり紹介したことのなかったタイプの小説です。『犬はいつも足元にいて』(大森兄弟著 河出書房新社 2009年)は、中学生の「僕」が主人公。親子3人で暮らしていたのですが、ある日父親が出ていきます。それからは、その父親がかつて連れて帰ってきた犬と主人公、そして母、1匹と2人の生活になりました。そこから物語がスタートします。
中学生の「僕」は学校であるグループに属しているんだけれど、そのメンバーが、1人、また1人と学校に来なくなる。そして残されたのは「僕」とサダ。このサダという友人(?)がなんとも不気味なのです。どう不気味かは、本書で詳しく読んでいただくこととしますが、こんな友だちがいたら怖すぎる…と、読みながら思ってしまった。
さて、「僕」は毎朝、父親がのこしていった犬の散歩に出かけるのですが、ある時からサダがその散歩時をねらって「僕」たちにつきまとうようになります。軽いストーカーのような感じ。そしてある時、犬がサダの足を咬んでしまう事件が勃発。
それをきっかけに、サダのお母さんも登場するんだけれど、この方がまた、サダに輪をかけて不思議というか不気味というか。なんとも表現しづらいのですが、彼女が発する言葉が独特なのです。
「来る頃だと思ってたけど、予想していたよりも四十五分早くて今ちょっと手が離せない状況だから手短に言わせてもらうなら、日本には昔から素晴らしい言葉があって、それをなくしてはいけないと同時に、いつか誰かに言いたいと思っていた言葉、ここにいる皆が幸せになれる魔法の言葉とは何か、水に流します」(p.56)
これは、「僕」とその母親が、サダに怪我をさせてしまったことを謝りに、その自宅を訪ねた際にサダの母親が発した言葉です。
散歩コースにかくされた謎
さて、このサダの足咬み事件をきっかけに、「僕」はどんどん面倒な場面に追い込まれていきます。そのストーリーからも目が離せないのですが、もう一つ、「僕」と犬がいつも散歩をする千秋公園にも謎が。
まず、犬は「僕」にひじょうに従順なのですが、この公園のある場所にくるとそれが一変するのです。ある場所を無心になって掘り返す犬。そこから現れる不気味な物体…。いったいそれは何なのか。「僕」にもわかりません。もちろん読者にも。果たして、その謎はこの小説の中で解かれるのでしょうか?
うーん、僕さっきから「不気味」っていう言葉を何度も使っているけれど、そうなの。この小説、不気味がいっぱいなの。公園には、自称「元獣医」というナンバーセブンという老人もいるのですが、この人の話も非常に怖い。もうその辺は本書で確認してくださいね。とくに戦争中の描写は驚くほどに精緻です。
「大森兄弟」という著者
さて、どうして僕がこの本に興味を持ったか、なんだけど、ずばり、著者名です。だって「大森兄弟」ですよ? そういうペンネームの人なのかなと思ったら、なんと、1975年生まれのお兄さん(看護師)とその翌年生まれの弟さん(会社員)の二人の共作なんだそう。そういう作品って初めて読んだ!どうやって共作したのかは本を読んだだけではわかりませんでした。章ごと? プロットを二人で考えた? うーん。それを想像するだけでもちょっと楽しい(笑)。
ちなみにこの小説で大森兄弟は第46回文藝賞を受賞されていて、芥川賞の候補にもなったそうです。文芸評論家の斎藤美奈子さんはこの本の帯に、
「文学は個人の自我の発露である」という旧来の文学観は音を立てて崩れ去る。ぜひ読んで驚いていただきたい。(本書帯)
と書いています。確かに、この小説はどこかすごく冷めた感じがする。たんたんとしていて、不気味。特に、登場する人間が。だからその中に出て来る犬が、あったかい体温をもった生き物のように感じられるのは、犬の僕だけかな?
何はともあれ、僕はこの本、一気に読んでしまいました。ぜひ皆さんも、ご一読を。大森兄弟ワールドに浸ってみてください。
Featured image credit Ryan Yeaman / unsplash