”頭がいい”と言われる犬種があります。
ボーダー・コリーやゴールデン・レトリーバー、ジャーマン・シェパードなどは、”頭がいい”とされる犬種の代表格でしょう。訓練競技会では上位を占め、作業犬としても大活躍する彼らは、「賢い」「トレーニングが入りやすい」「飼いやすい」などと言われてきました。
しかし、実際のところはどうなのでしょうか?”頭がいい”犬は本当に、賢くて扱いやすくて飼いやすいのでしょうか?
”頭がいい”犬種の誕生
まず、これらの犬種が”頭がいい”と言われるようになった経緯を、わたしの実感とともに振り返ってみたいと思います。
我が家には2匹のボーダー・コリーがいます。初代を迎え入れたのが1997年ですから、思えば20数年間、この犬種とともに暮らしているということになります。
飼い始めたころの日本では、ボーダー・コリーは”珍しい犬種”でした。散歩しているとしょっちゅう「何という犬種ですか?」と声をかけられました。彼女を迎えた年から首を突っ込むようになった訓練の世界でも、ボーダー・コリーという犬種はそれほど浸透しておらず、ボーダー・コリーと訓練競技会に臨む人の大半はアマチュアでした。
その状況が変わってきたのは、2000年頃からだと思います。ジャーマン・シェパードやラブラドール・レトリーバーといった本格的な作業犬に交じってボーダー・コリーの訓練性能が評価されるようになってきたようで、ボーダー・コリーを扱う訓練士が増えていきました。愛犬と散歩していると、「ボーダー・コリーは扱いやすいか?」と訓練士に聞かれることもありました。
心理学者のStanley Coren(スタンレー・コレン)の”Intelligence of Dogs(1994)”が、日本でも出版されたのはちょうどその頃です。『デキのいい犬、わるい犬―あなたの犬の偏差値は?』と邦題がつけられたこの本は、犬の知性・知能に関する研究などがわかりやすく整理されていたことから概ね良い評価を受けていましたが、同時に一部からは「知能に優劣があるという誤解を招く」などとして批判の声もあがっていたものでした。作業・服従知能の高い犬種をリスト化し、ランキングをつけたことが物議をかもしていたのです。
ランキングの1位は、ボーダー・コリー。プードル、ジャーマン・シェパード、ゴールデン・レトリーバー、ドーベルマン・ピンシャーが続き、最下位のアフガン・ハウンドまで138犬種がランクづけされました。プードルやジャーマン・シェパード、ドーベルマンなどは、以前から賢い犬として認識されていたものがランキングでお墨付きをもらった格好です。一方、日本でマイナーだったボーダー・コリーは、このランキングで一気に知名度をあげたように思います。「ボーダー・コリーは頭がいいから飼いやすいでしょう」と言われるようになったのも、「ウチの子はバカだから」という言葉が聞かれるようになったのもこのころからです。
ボーダー・コリーに関しては、こののちに発表される研究によっても、”頭がいい”説が後押されていきます。2008年3月発行のナショナルジオグラフィック誌では「動物の知力」が取り上げられ、その中で、ボーダー・コリーのリコやベッツィが数百の単語を理解すること、およびボーダー・コリーの言語能力の発達が牧羊犬の役目を果たすために飼い主の言葉に耳を傾ける必要あったからという見解が書かれています。また、アメリカ Wofford Collegeの心理学科名誉教授John W. Pilley(ジョン・ピリー)は自身の愛犬Chaser(チェイサー)に3年間集中トレーニングを行い、彼女の受容言語能力を身につける能力を検証しました。2011年の論文の中では、Chaserが1022個の固有名詞を学習し、保持していることを示しています。それは単にチェイサーには多くの単語を覚える能力があることを証明しただけでなく、固有名詞と指示の言葉が独立した関係にあることや、カテゴリーを表す一般名詞と固有名詞を弁別することができることも証明しているのです。
ボーダー・コリーが訓練競技会で上位を占めるたびに、ジャーマン・シェパードやドーベルマンが作業犬として活躍するたびに、”頭がいい”犬という印象はどんどん強くなっていったのだと思います。
しかし、彼らは、ほんとうに”頭がいい”犬種なのでしょうか?
動物の知能は人間と同じ尺度では測れない
コレン博士はブログの中で、犬の知能はさまざまな側面があり、「賢い」か「馬鹿」かはどういう側面について考えるかによって異なるとしています。
博士の主張する犬の知能の側面は、「本能的な知能」「適応知能」「作業・服従知能」ですが、その一側面だけに注目しても、犬の知能は評価することはできないといいます。
たとえば、作業・服従知能で最下位となったアフガン・ハウンドは、獲物を追いかけ仕留めるうえでは高い能力を発揮しますし、作業・服従知能で4位のゴールデンの中にも適応知能の低い個体がいて、なんども同じ過ちを繰り返す犬もいるというわけです。
しかし、私たちは、私たちがみてわかりやすい作業・服従知能に注目する傾向があります。人間の命令や合図をきき適切に対応する犬をみると「賢いなぁ」と思うものです。しかしだからと言ってその一面だけを取り上げて、頭がいいとするのは少し短絡的です。さらにこれを拡大解釈し、「人の話を聞ことができて、トレーニングが入りやすく、扱いやすく飼いやすい」というのは大きな誤りです。
生まれながらに「賢い犬」はいない
訓練競技会で好成績をおさめる犬も、たくさんのオモチャを識別できるチェイサーも、生まれながらにそれができたわけではありません。作業・服従知能で上位をおさめた犬種は、賢い犬になる素地をもって生まれてきたかもしれませんが、能力として開花させるためには人の助けが必要なのです。
何も教えられていないボーダー・コリーが目の前を飛んでいくディスクに向かって飛び上がりキャッチをすることはないでしょう。家でゆったりするのが得意なゴールデン・レトリバーも、突然むくりと起き上がり山の中で遭難者を見つけてくることは、ほぼありません。
人間が的確に指導することで、初めて彼らの能力を引き出してやることができるのです。
もちろん、中には羊を見せただけで、何も言わないのに勝手に羊の周りを回りながら集めてきたり、野原に放した犬が、野生動物の匂いを追いながらどんどん遠くへ行ってしまうということはあります。これは本能的な知能が高いがゆえの行動といえますが、人間の目には賢いとは映りません。「勝手に出て行っちゃダメって言ったのに!」と、むしろおバカ認定されてしまいます。
人間にとっての「賢い犬」は、ハンドラー(飼い主)の意図した作業が出来る犬と言って良いでしょう。しかし、”頭がいい”犬種のコでも、人間がサポートしなければ「賢い犬」にはなれないのです。
あなたにとって「賢い犬」にしたければ、一緒にトレーニングするしかありません。生まれながらに賢い犬はいないのです。
”頭がいい”犬と手に負えない犬は紙一重
犬は常に刺激や情報に飢えています。特に作業・服従知能が高い犬種は、人間との共同作業を効率よく行うために改良されてきた犬種でもあるため、多種多様な刺激とともに仕事が必要なのです。
人間から何も指示がなく放っておかれれば、能力が発揮できないだけでなく、問題行動を引き起こす可能性もあるのです。
これは、ボーダー・コリーを飼っていたご家庭で、実際あったお話しです。仮に名前をボーダーちゃんとしておきましょう。
お迎えした当初はかわいいからと家の中で育てられていたボーダーちゃんでしたが、だんだん悪戯が増えてきたため、庭に出されてしまいました。
庭は案外味気ない場所。とくに人との関わりが好きなボーダーちゃんには、退屈すぎる環境でした。刺激といえば庭の前を通る人や自転車、車やバイクしかなく、唯一の楽しみは彼らを追いかけることしかなかったのです。
庭の前を何かが通るたびに柵越に吠えて追いかけ、戻ってきては次の獲物を待つ日々。それはそれで楽しかったかもしれませんが、前を通るご近所さんには大迷惑です。ボーダーちゃんはさじを投げられ、飼い主から放棄されてしまいます。
ボーダーちゃんに会ったときの私の印象は、問題児という以前に非常に”頭のいい”犬。ボールを投げれば取ってきてくれるし、人と関わることが大好きなとても活発な犬でした。ただ、彼女にとって当時のライフスタイルは退屈すぎるものだったのです。目の前を通り過ぎるものを追いかけるというのは、彼女なりの退屈しのぎだったのかもしれませんし、彼女が作ったゲームだったのかもしれません。
作業・服従知能はコレン博士によれば、学習能力に一番近いものです。その意味では確かに、ボーダー・コリーは作業・服従知能の高い犬で、細かいことによく気がつき、さまざまなものから学べます。たとえば「クンクン鳴けば散歩に連れて行ってもらえる」とか「靴下を咥えたらかまってもらえる」など、悪い習慣もすばやく身につけます。
さらに彼らは”頭がいい”ゆえに、退屈が大嫌いです。暇になれば刺激を求め、自分でゲームを作り出すことすらします。先のボーダーちゃんは、まさにこの例に当てはまるコで、自分で刺激をつくり出したのだと私は思いました。
”頭がいい”犬と手に負えない犬は紙一重。飼い主がどのように接するかによって、どちらに転がるかが決まります。
愛犬を賢い犬に育てよう
コレン博士は”Intelligence of Dogs”の中で、知能は犬種による相違だけでなく、雌雄の違いや個体の性格や環境(訓練する人間)によっても異なることを記しています。要は、愛犬をどう育てていくかが大事だといえそうです。
どんな犬であっても、初めからなんでもわかって、ちゃんとできるわけではありません。
”頭がいい”犬であっても、飼い主のサポート無しに良い家庭犬にはなりえず、特に知能が高いと言われる犬種でなくても、飼い主がその犬をよく理解し、的確にトレーニングを積むことで、誇らしい家庭犬になることも可能なのです。
これから犬をお迎えしようという方は、ぜひ、”頭がいい”犬ではなく、ライフスタイルに合った犬(種)を選んでください。犬の寿命は数十年前と異なり格段と伸びています。犬の中には活発なコもいればゆったりが好きなコもいますし、警戒心が強くよく吠えるコもいればあまり吠えないコもいます。一緒に暮らすパートナーに「知能の高さ」だけを求める人はいないと思います。犬についても、おんなじです。
お隣の犬と比べることなく、愛犬の良いところを伸ばしながら、愛犬との時間を共有する楽しみを是非味わってみてください。一緒の時間を増やすことできっと誰もが、愛犬の能力の高さに驚かされ、楽しんでいけると思います。
頭のいい犬を探すのではなく、愛犬を賢い犬に育ててみませんか?
Featured image credit 三井 惇 CPDT-KA, WanByWan