皆さんこんにちは! 読書犬のぐりです。
僕がこちら、WOOFOO天国出張所に来たのが、昨年の3月21日。はや1年がたとうとしています。Nさんに会いたいなあと思うけれど、毎月「こんなに面白い本あるよ!」とメッセージが送られてくるから、近くにいる感じもしてる。こっちのワン友だちはみんなそうだから、地上の飼い主さんたち、心配しないでね。
夫婦二人暮しに犬がやってきた
さて、今回ご紹介するのは、『犬のいる暮し』(中野孝次著 文春文庫 2002年)です。著者の中野さんは1925年生まれの翻訳家、作家。戦後、日本が経済的にやっと落ち着いてきたころに、一匹の柴犬、ハラスを飼い始めます。
中野夫妻には子どもはいないのですが、このハラスがきたことで一気に会話が増え、毎日が活気づいた様子が描かれています。ただ、このハラスとのことは『ハラスのいた日々』(中野孝次著 文春文庫)に詳しいそうです。今回ご紹介する本には、ハラスももちろんですが、その後に飼った犬たちのことも書かれています。
同じ犬種を飼い続ける人は多いですが、中野さんもそうで、犬の中では、きりっとした柴犬がお好きだったようです。一代目のハラスは、著者が狭い団地暮らしから解放され、初めて一軒家をもったときに中野家にやってきました。予算の関係で庭までは手がまわらず、まだ作り途中の花壇の横を元気に走っている子犬のハラスの写真がなんともキュート。さて、ハラスによってどんな日常風景が出現したのでしょうか?
結婚生活すでに二十年の子のない夫婦の日常生活なんて、およそ考えうるかぎり寡黙になりがちなものだ。(中略)四十七歳のとしにしてすでにそうで、以後年齢を増すにつれますますそうなっていったが、犬がいると犬をめぐって口をきかずにいられぬことがつねに起こる。散歩中の出来事、犬の健康、出会ったよその犬のこと、(中略)犬が口をきかぬので人間が代わってしゃべることになり、それが夫婦間の会話になってもいるのであった。犬は生活を円滑に運ぶための潤滑油でもあった。(p76―78)
「潤滑油」かあ。いいね。僕たち犬の存在が、人間の暮らしに潤いを届けられるのであればそんなに嬉しいことはないよ。ハラスもきっと、そんな中野夫妻の和気あいあいとした会話を聞いて、楽しかっただろうなと思います。ハラスは長生きし、天国へ。その喪失感の大きさから、中野さんは『ハラスといた日々』を書きます。そして、読者から何千通もの手紙が届いたのです。
その手紙の内容について書かれた部分も読みごたえがあります。長年連れ添った犬が亡くなることが、どれだけ飼い主にとってつらいことか。まっすぐな言葉でつづられるその文章に僕も涙が出ました。
犬のいない暮しは考えらない
ハラスが亡くなってから五年間は犬を飼わなかった中野さんですが、その後二代目のマホを飼います。しかし、このマホは急病のために若くして亡くなります。そして…
一度ほんとうに犬との暮しが好きになった人は、もう犬のいない暮しなど考えられなくなってしまう。
むろん、犬に死なれたばかりのときは、もう二度とこの苦しみを味わいたくないと思い、犬を飼うのをやめようと決心するが、しかし結局は犬のいない暮しに耐えられなくなる。(p142)
中野さんもそうなって、三代目のハンナを飼い始めます。実は中野さんは、二代目のマホを飼う前に、自分の寿命と犬の寿命を考えて、60代の自分がこれから新しい犬を飼い始めるのは無責任なのではないかと悩みます。でも、結局マホを飼い、生き生きとした暮しを手に入れるのです。
今を生きる
その後、ハンナを飼い始めてから中野さんはこう思うようになります。
わたしは以前犬を飼う決心をするとき、この犬の寿命まで自分は生きていられるだろうか、などと考えることがあったが、あるとき以後そんなふうに考えるのは誤った考え方だということに気づいた。人にあるのは、今生きてここに在るという時だけで、未来とか過去という時があるわけではない。人にできるのは、生きてここに在るという時を力いっぱい押してゆくことだけだ。そこにおのずから未来が生じ、過去が生れるにすぎない。(p224)
この本には、こういったどこか哲学的な考えが何カ所かに出てきます。それも魅力の一つだと思う。犬との暮しから、こういう悟りというか、思いが生まれて来るって、なんだかすごいよね。
あとがきによれば、この文庫を出版したとき、中野さんは77歳。一代目のハラスから、四代目のナナ(ハンナの娘)まで、約30年を柴犬と共に暮らしたことになるそうです。犬を飼うことによって中野さんが考えたいろいろなこと。それらが一冊の本で知ることができるなんてお得ですよね! ぜひぜひ、読んでみてください。
All images by kuujinbo (-_-‘)/ Flickr